月: 2020年1月

  • 雪の夜明け前。大糸線‥アルプス・オリエント急行

    雪の夜明け前。大糸線‥アルプス・オリエント急行

    久々のまとまった雪が降りまして。いい年して…、雪が降るとわくわくぞくぞくしてしまいます。15cmほど積もったでしょうか、程々の積雪だと平和で風情があって助かります。この位がちょうどいい。松本・安曇野は表情ゆたか‼

    始発の北へ向かうJR大糸線です。まるで銀河鉄道みたいだ!列車の姿もちょうどよい距離感で真っ白で真っ暗な夜明け前の安曇野の田園の宇宙を光の帯がビームのように北アルプスへ走ってゆく。実際には窓の中もそれなりに感じられるほど見えているんですけれどもカメラを使いこなせていないというか望遠レンズもないしイマイチ臨場感を伝えられないところが微妙なところ…。単焦点レンズのリコーGRⅢというカメラで撮っています。

    オリエント急行殺人事件という映画をご存じでしょうか?パリからイスタンブール間を走る列車の旅のサスペンス映画ですが、そのシーンの中で本物のアルプス沿いに列車が走ってゆくんですが、、あぁ~いいなぁぁ、ワタシもこんな景色の列車旅がしてみたい…と、思ったのですが、、よくよく振り返ってみると、、まさにソコを走っている大糸線が松本から日本海へと北アルプス沿いを走っている列車なのでした!!!!惜しくもあんなに素敵な食堂車こそないものの、いつでも乗れるじゃん!!!ですね…。

    近いうちにお気に入りの駅弁でもGETしてオリエント急行の映画とその列車に身を委ねてみよう☆とほくそ笑んでいます。

    お奨めの季節は北アルプスに雪があり森に緑に湖のある4月から6月あたりでしょうか!? ぜひ塩の道・千国街道を北アルプス列車に乗って電車旅を愉しんでみてください。

  • 全体意識の不思議

    全体意識の不思議

    イワシの群れ って観てますと、、ひとつの生き物のようですよね。不思議…。
    ひとつひとつは、ひとつなんだけど、数千匹になるとまた全体としてのひとつの生き物に感じます。
    一番左のひとつが方向を変えるとき一番右のひとつも瞬間的に方向を変えているように見えます。
    もうひとつの意識、全体意識?集合意識としても生きているんだと感じます。
    ヒトも、ひとりひとりでありながら家族であったりスポーツチームであったり集合意識に近い状態を体験しているはずです。
    また、車を運転している時もそうじゃないですか??
    右側で運転しているんだけど、全体を感じていませんか??
    左後ろ端をぶつけても自分の一部をぶつけた感覚を感じませんか。
    で、テニスの、例えばラファエルナダルとか、ここぞという時のダウンザラインのショットが相手のコートの隅を突く!!
    あの瞬間!! これって、コレも、全体意識だと思うんですね、自身もボールもコート全体も、
    もっというと相手選手も、観客すらも…。
    あんだけノッテいる時って、、左手の人差し指で自分の右足のくすり指を触る、という動作となんら変わらない!?と思うのです!
    で、マザーテレサもそう!? 銃口を向けた敵兵士の傷口すら、、自分の足の小指に絆創膏を貼る動作と同じだと思うのです。
    それがヒトのスケールや器の大きさを感じるのだと思うんです。
    仕事も友人関係もそう、私にとっての都合というのでなく、、たずさわる全体としての自分になりその全体意識にとっての目指す価値や結果に努めたいと心がけていたいと思うのです。
    これは「相手のため」という視点でなく、全体としての自分自身のために行う行為で、自分を大切にするとか自己中心的、という感覚です。
    災害ボランティアなんかもそう。誰かのためにという感覚も持ちつつもやはり自分の庭を片付ける感覚も感じます。
    その感覚でいるときは、個体の自分でない全体の誰かが感じた感覚を自己として感じられるようになることを経験し始めるから不思議です。たぶん未来も…。
    とかく私たちはその自身の体重のワタシという認識が99%を占めているはずですが、、
    その場その場で自己は変幻自在に大きさを変えて感じてみる、体験してみると、世界の見え方が変わってくるんです。
    ぜひ、お試しを☆彡
  • 輝き方改革

    輝き方改革

    巷では働き方改革という言葉を最近よく耳にします。より自由な社会に向けて少しづつ動いてるのだなと少し期待します。
    私はむしろ輝き方改革という概念が好きです。生き物にとって素晴らしい生存というのは現代社会や人々にちやほやされることよりも、ひとときひととき自由に満ちた気持ちになり続けられることと信じています。

    輝けば自ずと結果は現れると信じています。とかく社会にとって都合の良い存在であろうとすると自分自身にとってはとてもとても窮屈なんです。

    全英女子オープンで優勝した渋野日向子さんや全米オープンで優勝した大阪なおみさん、たまたまライブで見てましたけど、紛れもなく輝いてました⭐︎
    離れた私の身体に鳥肌を立たせるほど、涙すらこみ上げてくるほど。
    彼女たちは練習も積み重ねただろうけど、一番の要は自分らしくいたことではと私は確かな手応えとともに見守ってました。
    突き抜けるほどの自分らしさほど強く美しく輝けるものは他にないのでは?と信じています。
    ソレを観ていたというか擬似体験させてもらった私が鳥肌と涙こそが輝いているまさにその”時”だと思っています。
    私なりの輝き方は、私らしさを心から信じて表しそして楽しみ味わうことだと思うようになりました。
    世間ていを気にしてなかなか億劫になってしまいできないんですけどね、
    今年はその輝き方改革を少しづつ形にしてゆこうと思っています。
  • 未来の記憶

    未来の記憶

    そこに行くと何故か落ち着くとか懐かしいような感覚に触れるとか、、または今日これがなんとなく必要な気がするから持って行こう!?とかありませんか?
    私なりに”未来の記憶のようなもの”として解釈しています。
    映画 メッセージ
    未来という経験していない未知の世界のはずですが、もしかしたら…。
    例えばこうも考えられます。
    過去の自分に戻ってその時の自分に今の自分が重なり合っているとか。
    はたまた未来というのは100%でなくとも既にある程度ぼんやり存在していて、客観的な形になっていないだけで、、頭の中では既に半分以上経験している自分を感じられるとか。
    とにかく、それらの経験は確実になにか”確かなモノ”を感じられる…と、わかるから不思議です。
    未来も過去も今も横軸一直線上に見立てられる事がわかりやすい解釈となっていますけれども、実は縦軸一直線上に同時に存在していると考えると、なんとなく辻褄が合って腑に落ちて、とてもとてもワクワクしてくる今日この頃です。