その恥じらいがちな後ろ姿 はがゆくてあいらしい…
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久々のまとまった雪が降りまして。いい年して…、雪が降るとわくわくぞくぞくしてしまいます。15cmほど積もったでしょうか、程々の積雪だと平和で風情があって助かります。この位がちょうどいい。松本・安曇野は表情ゆたか‼
始発の北へ向かうJR大糸線です。まるで銀河鉄道みたいだ!列車の姿もちょうどよい距離感で真っ白で真っ暗な夜明け前の安曇野の田園の宇宙を光の帯がビームのように北アルプスへ走ってゆく。実際には窓の中もそれなりに感じられるほど見えているんですけれどもカメラを使いこなせていないというか望遠レンズもないしイマイチ臨場感を伝えられないところが...
イワシの群れ って観てますと、、ひとつの生き物のようですよね。不思議…。
ひとつひとつは、ひとつなんだけど、数千匹になるとまた全体としてのひとつの生き物に感じます。
一番左のひとつが方向を変えるとき一番右のひとつも瞬間的に方向を変えているように見えます。
もうひとつの意識、全体意識?集合意識としても生きているんだと感じます。
ヒトも、ひとりひとりでありながら家族であったりスポーツチームであったり集合意識に近い状態を体験しているはずです。
また、車を運転している時もそうじゃないですか??
右側で運転しているんだけど、全体を感じていませんか??
左後
巷では働き方改革という言葉を最近よく耳にします。より自由な社会に向けて少しづつ動いてるのだなと少し期待します。
私はむしろ輝き方改革という概念が好きです。生き物にとって素晴らしい生存というのは現代社会や人々にちやほやされることよりも、ひとときひととき自由に満ちた気持ちになり続けられることと信じています。
輝けば自ずと結果は現れると信じています。とかく社会にとって都合の良い存在であろうとすると自分自身にとってはとてもとても窮屈なんです。
全英女子オープンで優勝した渋野日向子さんや全米オープンで優勝した大阪なおみさん、たまたまライブで見てましたけど...
そこに行くと何故か落ち着くとか懐かしいような感覚に触れるとか、、または今日これがなんとなく必要な気がするから持って行こう!?とかありませんか?
私なりに"未来の記憶のようなもの"として解釈しています。
未来という経験していない未知の世界のはずですが、もしかしたら…。
例えばこうも考えられます。
過去の自分に戻ってその時の自分に今の自分が重なり合っているとか。
はたまた未来というのは100%でなくとも既にある程度ぼんやり存在していて、客観的な形になっていないだけで、、頭の中では既に半分以上経験している自分を感じられるとか。
とにかく、それら