私たちは皆、、養鶏場の中に棲んでいるようか気がします。
そこは屋根と壁に囲まれ餌は供給されるとても居心地の良い空間です。
何不自由なく生きて行ける!
養鶏場の中の世界のことは360度見渡せるしなんでも知っている。
ところが、、
ここには雌しかいない?産んだ卵は誰かが処置してくれている?
外はどうなっているんだろう??そんなこと知る必要もない?
何も疑問や好奇心を持たずとも何不自由なく快適に過ごせる。
面倒なこともあるけど、、そういうもんだ。それがあたりまえだ。
天才的な先輩方の言うのに、知れば知るほど自身は何も知らなかったことに気づくとか。
愚か者の方々
バードビュー、鳥の眼から見た視界、添付の画像は以前家族で空を飛んだときのものです。
まるでトンビになったかのような気持ちと視界の体験でした。私たちはとかく身のまわりの情報に影響を受け本来の姿を見失ってしまう傾向にありますよね。
円錐を思い浮かべてみてください。そういうと誰でも立体的な円錐を想像できるでしょう。ところが視点が近すぎますと、単なる面しか見えないとか、尖ってる部分しか感じられないとか、視点によっては三角形にしか見えない、ただの円にしか見えないとか。いろいろを感じられる人は、それは円錐で、どの位の大きさで、それが豆腐で出来ていて水分量がおおよそ...
なにか安心や希望を…。
この世の全てのモノコトに良い面悪い面が共存している気がする。大切な愛しい家族ですら…なくすの想像出来ないですよね、、。たぶんこのコロナ騒動もそう。皆、今、嫌な面だけを感じさせられてるけど、この不安量と同じ規模の恩恵がありソレを見出し感じられるはず。🌈 かつて第二次世界大戦の真っ只中の日本人はこの戦争に万が一負けたら日本は無くなってしまうと誰もが心配したはず。…でも実際はこんなにも素晴らしい日本が今ココに存在しているわけで。
明日も世界も思ってるより明るくやさしくあたたかい、と私は思う。
その恥じらいがちな後ろ姿 はがゆくてあいらしい…
...
イワシの群れ って観てますと、、ひとつの生き物のようですよね。不思議…。
ひとつひとつは、ひとつなんだけど、数千匹になるとまた全体としてのひとつの生き物に感じます。
一番左のひとつが方向を変えるとき一番右のひとつも瞬間的に方向を変えているように見えます。
もうひとつの意識、全体意識?集合意識としても生きているんだと感じます。
ヒトも、ひとりひとりでありながら家族であったりスポーツチームであったり集合意識に近い状態を体験しているはずです。
また、車を運転している時もそうじゃないですか??
右側で運転しているんだけど、全体を感じていませんか??
左後