災害ボランティアなんかもそう。誰かのためにという感覚も持ちつつもやはり自分の庭を片付ける感覚も感じます。
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全体意識の不思議
イワシの群れ って観てますと、、ひとつの生き物のようですよね。不思議…。ひとつひとつは、ひとつなんだけど、数千匹になるとまた全体としてのひとつの生き物に感じます。一番左のひとつが方向を変えるとき一番右のひとつも瞬間的に方向を変えているように見えます。もうひとつの意識、全体意識?集合意識としても生きているんだと感じます。ヒトも、ひとりひとりでありながら家族であったりスポーツチームであったり集合意識に近い状態を体験しているはずです。また、車を運転している時もそうじゃないですか??右側で運転しているんだけど、全体を感じていませんか??左後ろ端をぶつけても自分の一部をぶつけた感覚を感じませんか。で、テニスの、例えばラファエルナダルとか、ここぞという時のダウンザラインのショットが相手のコートの隅を突く!!あの瞬間!! これって、コレも、全体意識だと思うんですね、自身もボールもコート全体も、もっというと相手選手も、観客すらも…。あんだけノッテいる時って、、左手の人差し指で自分の右足のくすり指を触る、という動作となんら変わらない!?と思うのです!で、マザーテレサもそう!? 銃口を向けた敵兵士の傷口すら、、自分の足の小指に絆創膏を貼る動作と同じだと思うのです。それがヒトのスケールや器の大きさを感じるのだと思うんです。仕事も友人関係もそう、私にとっての都合というのでなく、、たずさわる全体としての自分になりその全体意識にとっての目指す価値や結果に努めたいと心がけていたいと思うのです。これは「相手のため」という視点でなく、全体としての自分自身のために行う行為で、自分を大切にするとか自己中心的、という感覚です。
災害ボランティアなんかもそう。誰かのためにという感覚も持ちつつもやはり自分の庭を片付ける感覚も感じます。その感覚でいるときは、個体の自分でない全体の誰かが感じた感覚を自己として感じられるようになることを経験し始めるから不思議です。たぶん未来も…。とかく私たちはその自身の体重のワタシという認識が99%を占めているはずですが、、その場その場で自己は変幻自在に大きさを変えて感じてみる、体験してみると、世界の見え方が変わってくるんです。ぜひ、お試しを☆彡 -

輝き方改革
巷では働き方改革という言葉を最近よく耳にします。より自由な社会に向けて少しづつ動いてるのだなと少し期待します。私はむしろ輝き方改革という概念が好きです。生き物にとって素晴らしい生存というのは現代社会や人々にちやほやされることよりも、ひとときひととき自由に満ちた気持ちになり続けられることと信じています。輝けば自ずと結果は現れると信じています。とかく社会にとって都合の良い存在であろうとすると自分自身にとってはとてもとても窮屈なんです。
全英女子オープンで優勝した渋野日向子さんや全米オープンで優勝した大阪なおみさん、たまたまライブで見てましたけど、紛れもなく輝いてました⭐︎離れた私の身体に鳥肌を立たせるほど、涙すらこみ上げてくるほど。彼女たちは練習も積み重ねただろうけど、一番の要は自分らしくいたことではと私は確かな手応えとともに見守ってました。突き抜けるほどの自分らしさほど強く美しく輝けるものは他にないのでは?と信じています。ソレを観ていたというか擬似体験させてもらった私が鳥肌と涙こそが輝いているまさにその”時”だと思っています。私なりの輝き方は、私らしさを心から信じて表しそして楽しみ味わうことだと思うようになりました。世間ていを気にしてなかなか億劫になってしまいできないんですけどね、今年はその輝き方改革を少しづつ形にしてゆこうと思っています。 -
私の目指す
友人から本借りまして…
方丈記、少し読み初めましたよ。興味のある所から。
けっこう、、というか想定外に気づかされたことがあって。近ごろ何かと自分自身がやたら加速してるから。
読まずにいなくてよかった。
むしろ貸していただいてよかった。
私も嫌いじゃない世界観でした、以前は。
徒然草や枕草子のような随筆や人生観の哲学でもありただ”何か”が物足りなく感じることを確実に感じ取りました。
おそらく春の日差しのようなエネルギー的源泉です。
物事から本質を感じ取りしなやかに生きる、
晩秋のしなやかさを感じます。一方、全英優勝の渋野日向子は初夏のような陽気なエネルギーをまぎれもなく感じた。
個人だけでなく、優勝争いしてるライバルさえも、ゴルフ場全体の空間のすべてををも味方にしてゆくようなささやかで最も力強いエネルギー体。
コレ☆、だわな、とはこのところつくづく思っていました。いわゆる近頃興味があるのは自然や宇宙や世のしくみ。 絶対的に無限大で広くて軽くて明るくて温かい。
“引き寄せ”現象もその一環で三次元の時空の物理世界だと都合よく”そう”なる現象のひとつにすぎないのかも。
その手のわけのわからないような不思議な世界感をひっくるめでざっくり個人的に宇宙教としてます。宇宙教??の心地よいのは、ゆたかなエネルギーに満ちていること。
後進国へ行って井戸の掘り方を教えてもらっているような感覚に近い感じがする。
湧き出てくる”さいわい”や”いつくしみ”についての考察や在り方。
確かに”わざわい”は、それを気づかせてくれる相対的なものだなぁ。私の目指す処、というのがぼんやりというかむしろ確かな手ごたえで観えてきました。
何をすべきか、何をしたいか、というより”そう”でありたいと。
とりあえず「いつくしみの源泉のエネルギー体」でありたいと。ソコに位置したい。そう、そしてワルツのようなもの。
ピアニストのビル・エヴァンスの waltz for Debby ♪
Jazzトリオの最も好きな1曲、なぜ惹かれたのか今わかりました。
私が目指すのは、しかもそれがベーシストかコントラバス奏者なんでしょうね。
土台でリズムを刻むことによって、その場の雰囲気をワルツ調に変えてゆくような使命みたいなもの!?
私はいつも、主役をひたむきにひたすら立てるのにあたかも主役を食うくらいなんだけどの銘脇役、に惹かれるのもわかる気がしてきました。何をするか、何をすべきか、何をしたいかは、しょせん脇役、方程式のXや空欄でしかなく、主役はあくまでエネルギーの方程式。
最も有名なのが、℮=mc2 ですね。アインシュタイン
おそらく私の場合状態在り方が先かな、根底、志として、で、何をするにつながる感覚体なのだと私自身を感じます。
先に何をしたいから始まって在り方が見える場合や現象の方が多いでしょうけど。
まぁ、これもニワトリとタマゴなんでしょうけどね。で、何をするか、どうするか、は、たぶんでも確かな最もシンプルなこと。
自分が惹かれるものに素直になり受け入れる、ということなんですね。
私にとってのあらゆる惹かれるものの共存が自分自身の特化性なんだと思います。ひさびさにドドドドーと天からだか内なる中心からなのかよくわからないけど湧いて出てきたので綴っておきたいと思い…。
街へ森へ今へ出かけましょう!!
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ルビーのように美しい
この地球上にこんなに美味しいものがあって良いものか!??
今日はブリ漬け丼、写真はいつしかの本マグロ漬け丼。その輝く赤身はルビーのように美しい。
このお店、特に酢飯が旨い。なにもかもがが絶妙だ。甘口でツンとこない、そして少なめなご飯?十分ホントはあるのだけど少ないと感じてしまう。
そう、ココの唯一の欠点、、
食べていくと丼の中身が刻々と減っていってしまうこと。あたりまえダ…。
さかなの旨味といいこじんまりとした店のたたずまいといい毎食でも通いたいくらいだ。
そして食後の余韻が好きだ。半日続くかな、口中の食感と豊かさ、満ち足りた心地よさ…
脳の奥、本能的な処に記憶されるのかな、自分にとって最重要事項の記憶エリアに。
で、また行きたくなる・・・ 松本市 魚章 -
何の隔たりもなく伝わること
以前たまたま入院していた時、とても不思議でそしてかけがえのない素晴らしい体験をいくつもしました。
そのひとつに、
テレビから聴こえるオーケストラの素晴らしさがダイレクトに心臓?心?全身?を揺さぶったのです。
6人部屋の雑居部屋、カーテン一枚が壁、スペースはぎりぎり一人用ベッド、テレビはノイズと白黒気味で、安い片耳イヤホン。
ただいえるのは、悪夢と感じていた仕事からから離れ、なぜか満ち足りて幸せだったこと。
悪環境?のもと、嫌いではないけれどあまり関心のなかったごくごく平凡なオーケストラの演奏が、
何の隔たりもなく私の心を壊れるばかりに揺さぶったのです。心臓バクバク、全身鳥肌、涙じゃーじゃー!でしたね。
na、何!!??コレ!!??
スクリーン、ノイズ、色、音質、あとなんだろう??何もかものフィルターが外れて心に直接とびこんだような。たぶん隔たるもののない一体だったから??
演奏者の技術すら隔ててなんらかのエネルギーがダイレクトに。
隔たりを感じているのは錯覚、音響装置なんて、受け取る側の心や感受性でいくらでもカバーできる、
AとBはもともとひとつである。たぶんすべてはひとつ?
そんなことを実感、実体験しました。
障害は外には無い、全て内側にありそう。
そんな40歳位のあの秋から、はや10年あまり。
私51に今日なりました。もうこの世で半世紀以上も生きてることになりますね。
またまた自己記録更新です。51をマークしました。
よりゆたかな人生はまだまだこれから。今が一番かも。望みに満ち溢れる人生の真っ只中、だな。


