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  • 輝き方改革

    輝き方改革

    巷では働き方改革という言葉を最近よく耳にします。より自由な社会に向けて少しづつ動いてるのだなと少し期待します。
    私はむしろ輝き方改革という概念が好きです。生き物にとって素晴らしい生存というのは現代社会や人々にちやほやされることよりも、ひとときひととき自由に満ちた気持ちになり続けられることと信じています。

    輝けば自ずと結果は現れると信じています。とかく社会にとって都合の良い存在であろうとすると自分自身にとってはとてもとても窮屈なんです。

    全英女子オープンで優勝した渋野日向子さんや全米オープンで優勝した大阪なおみさん、たまたまライブで見てましたけど、紛れもなく輝いてました⭐︎
    離れた私の身体に鳥肌を立たせるほど、涙すらこみ上げてくるほど。
    彼女たちは練習も積み重ねただろうけど、一番の要は自分らしくいたことではと私は確かな手応えとともに見守ってました。
    突き抜けるほどの自分らしさほど強く美しく輝けるものは他にないのでは?と信じています。
    ソレを観ていたというか擬似体験させてもらった私が鳥肌と涙こそが輝いているまさにその”時”だと思っています。
    私なりの輝き方は、私らしさを心から信じて表しそして楽しみ味わうことだと思うようになりました。
    世間ていを気にしてなかなか億劫になってしまいできないんですけどね、
    今年はその輝き方改革を少しづつ形にしてゆこうと思っています。
  • 未来の記憶

    未来の記憶

    そこに行くと何故か落ち着くとか懐かしいような感覚に触れるとか、、または今日これがなんとなく必要な気がするから持って行こう!?とかありませんか?
    私なりに”未来の記憶のようなもの”として解釈しています。
    映画 メッセージ
    未来という経験していない未知の世界のはずですが、もしかしたら…。
    例えばこうも考えられます。
    過去の自分に戻ってその時の自分に今の自分が重なり合っているとか。
    はたまた未来というのは100%でなくとも既にある程度ぼんやり存在していて、客観的な形になっていないだけで、、頭の中では既に半分以上経験している自分を感じられるとか。
    とにかく、それらの経験は確実になにか”確かなモノ”を感じられる…と、わかるから不思議です。
    未来も過去も今も横軸一直線上に見立てられる事がわかりやすい解釈となっていますけれども、実は縦軸一直線上に同時に存在していると考えると、なんとなく辻褄が合って腑に落ちて、とてもとてもワクワクしてくる今日この頃です。
  • 私の目指す

    友人から本借りまして…
    方丈記、少し読み初めましたよ。興味のある所から。
    けっこう、、というか想定外に気づかされたことがあって。

    近ごろ何かと自分自身がやたら加速してるから。
    読まずにいなくてよかった。
    むしろ貸していただいてよかった。
    私も嫌いじゃない世界観でした、以前は。
    徒然草や枕草子のような随筆や人生観の哲学でもあり

    ただ”何か”が物足りなく感じることを確実に感じ取りました。
    おそらく春の日差しのようなエネルギー的源泉です。
    物事から本質を感じ取りしなやかに生きる、
    晩秋のしなやかさを感じます。

    一方、全英優勝の渋野日向子は初夏のような陽気なエネルギーをまぎれもなく感じた。
    個人だけでなく、優勝争いしてるライバルさえも、ゴルフ場全体の空間のすべてををも味方にしてゆくようなささやかで最も力強いエネルギー体。
    コレ☆、だわな、とはこのところつくづく思っていました。

    いわゆる近頃興味があるのは自然や宇宙や世のしくみ。 絶対的に無限大で広くて軽くて明るくて温かい。
    “引き寄せ”現象もその一環で三次元の時空の物理世界だと都合よく”そう”なる現象のひとつにすぎないのかも。
    その手のわけのわからないような不思議な世界感をひっくるめでざっくり個人的に宇宙教としてます。

    宇宙教??の心地よいのは、ゆたかなエネルギーに満ちていること。
    後進国へ行って井戸の掘り方を教えてもらっているような感覚に近い感じがする。
    湧き出てくる”さいわい”や”いつくしみ”についての考察や在り方。
    確かに”わざわい”は、それを気づかせてくれる相対的なものだなぁ。

    私の目指す処、というのがぼんやりというかむしろ確かな手ごたえで観えてきました。
    何をすべきか、何をしたいか、というより”そう”でありたいと。
    とりあえず「いつくしみの源泉のエネルギー体」でありたいと。ソコに位置したい。

    そう、そしてワルツのようなもの。
    ピアニストのビル・エヴァンスの waltz for Debby ♪
    Jazzトリオの最も好きな1曲、なぜ惹かれたのか今わかりました。
    私が目指すのは、しかもそれがベーシストかコントラバス奏者なんでしょうね。
    土台でリズムを刻むことによって、その場の雰囲気をワルツ調に変えてゆくような使命みたいなもの!?
    私はいつも、主役をひたむきにひたすら立てるのにあたかも主役を食うくらいなんだけどの銘脇役、に惹かれるのもわかる気がしてきました。

    何をするか、何をすべきか、何をしたいかは、しょせん脇役、方程式のXや空欄でしかなく、主役はあくまでエネルギーの方程式。
    最も有名なのが、℮=mc2 ですね。アインシュタイン
    おそらく私の場合状態在り方が先かな、根底、志として、で、何をするにつながる感覚体なのだと私自身を感じます。
    先に何をしたいから始まって在り方が見える場合や現象の方が多いでしょうけど。
    まぁ、これもニワトリとタマゴなんでしょうけどね。

    で、何をするか、どうするか、は、たぶんでも確かな最もシンプルなこと。
    自分が惹かれるものに素直になり受け入れる、ということなんですね。
    私にとってのあらゆる惹かれるものの共存が自分自身の特化性なんだと思います。

    ひさびさにドドドドーと天からだか内なる中心からなのかよくわからないけど湧いて出てきたので綴っておきたいと思い…。

    街へ森へ今へ出かけましょう!!