タグ: 枕雑草子

  • たしかなもの たしかなこと

    たしかなもの たしかなこと


    ABRTHヲタクの高校生、街で耳でフィアットだ♡!と聴き分けるらしい…!?
    娘の熱望で久しぶりのマニュアルに試乗してみた、
    ケモノのような生きたエンジン音とマフラーの息遣いはまさに、官能美…だ。

    アバルトでは製品化する際、性能値よりも音の美しさを優先させることがある、と聞いたことが。燃費やカタログ値よりも魂を揺さぶるモノを市場に送り出す、イタリア人の志、すごく素晴らしいなぁと思ふ。

    誰でもが認めやすい都合の良いモノ・コトよりも、自分自身個人が認める”確かなもの”を見分けられる大人になって欲しいなぁ。

  • 雨降りの日には雨を。。。

    雨降りの日には雨を。。。

    今年は例年になく長雨ですね。申し訳ないけど週末の地区の運動会の係がなくなってほっとしてます。
    楽しみにしていた日に雨だとやはりゲッソリしてしまいます。

    もともと嫌いでないですが、近頃は雨降りの日はより落ち着く日になりました。
    湯船につかって窓を少し開けて雨音を聴くのもあぁ~いいなぁと思ってしまうし、ベッドに横たわってやはり窓を少し開けて、たった雨音だけのBGMを聴きながら、あぁ~雨だなぁ、、と。

    地面や川や草木や森は雨が降ると安心して受け入れている声が聞こえてくる気がするし
    特に森は雨が降っているときに一番潤っていて一体感があって自然な感じがする。
    こんど雨の日に合羽を着て森の中を歩いてみたい、と思っています。

    五木寛之さんの小説に「雨の日には車を磨いて」というのがありましてね
    車と男と女のショートストーリーなんですけど、
    「ぴかぴかに磨いたボディに雨の雫が玉になって走るのって素敵じゃない??」
    というセリフがあるんだけど、自然体でとてもお気に入りの言葉なんです。

    とかくニュースや巷の社交辞令に洗脳されるがごとく皆雨を嫌ってしまいますけれども、
    雨無くしてこの美しい日本は無いわけで、ありがたく思う要素をほとんど忘れ、私たちはデメリットばかり焦点を当ててしまっている気がします。

    晴耕雨読…、 雨の日に雨を…晴れた日には晴れの日を

  • やさしくて、やさしくて。

    やさしくて、やさしくて。


    相手のために、相手の気持ちになって行動したことは喜ばれます。
    その一方、親切のつもり…があまり伝わらないこともあります。
    おもいやり? やさしさ。 見かけ上のやさしさ…

    何がどこが違うんだろう?と考えてみるわけです。自身でも気付かぬうちに、自分自身の価値を高めるために行動したことの差なのかな?私自身もついやってしまう。というか、ほとんどこちらだろう。汗。。
    私自身を傷つけないようにとか、かっこつけるとか、自己アピール?私自身を守ってしまう。
    私を見て!の状態、もう完全に私が主役、相手は脇役ですね。
    なんとなくの菓子折りを持っていく、というのはどちらかというと、まさに相手より自分を優先してる気がしませんか?

    相手の気持ちになって考える、行動するということは、相手とこちら側が共鳴というか共振してるんだと思います。だから、「伝わる」んではないかと思います。

    良くしてくださったときに、妙にストライクゾーンにはまり、それはとてもあったかく、確実に大切な何かを受け取ったような不思議な感覚を覚えることがありませんか?

    同じ目線で話しをするというのもそういう意味だったのかな。なんてったって、自分がかわいい、そんな自分の現状維持を守った利益や価値と、相手を思いやり行動した時に産まれる価値、いろいろなこと、今振り返ると、あ、かえって損をしていたんだなと気付かされます。

    価値を産み出す、創り出す側になりたいです。

  • やまとことば

    やまとことば

    やまとことば、というのをご存知ですか?

    日本本来の言語だそうです。音読み訓読みの訓のあたりや形容詞などにちゃんと残っているそうです。そうして振り返ってみると今私たちが普通に使っている日本語の多くが漢字とともに大陸から来た言葉だと気づきます。る~さんのようにさらに欧米言語も混じる方も多くおられますよね。世界はひとつ!ですからこれこれでアリです。
    でも日本は欧米のことを気にすることなく比較することなく自身の日本らしさを磨くほど価値が上がるような気がします。

    ところで、ひらがな以前に既に音(おと)中心の文字、大和文字すらあったそうです。
    そう、もともとは日本人は文字に意味合いをもたせていなかったんでしょうか。
    私、弓とか、山登りとかするんですけれども、今となってはあまり使いまわしのないやまとことばが豊富に出てくるんです。あぁ、、日本語?やまとことばだなぁと。

    私としてはいち日本人としてこのあたりを尊重してもっと日本らしさを掘り起こし後世に伝えていく役割をしてゆけたらなと思うようになりました。
    もっと、やまとことば、日本人らしさ、つかってみませんか!?

  • 安曇野 烏川渓谷 ゼロの流れ

    安曇野 烏川渓谷 ゼロの流れ

    近頃、もっと自然な野生的でありたい、と思うようになってきました。
    今は新聞もニュースも基本止めてみました。

    渓流散策です。(釣れなかったので散策!としときます)

    水面は生きた鏡のよう。樹木達のありのままの姿は庭師さんでもお手上げかと?

    美しいにもほどがある。

    渓流は芸術だ。一流の庭師さんならこれに近いものを再現できるのだろうか??
    二流・三流だと…?
    ということは、これは、自然は、、ゼロ流なんだと思います。
    ゼロというとおそらく、禅の世界に通ずるものがあると思います。欲が解けて無我の境地とか?
    弓もそうですけど、狙っていけないとか無茶!なことを言われます。しかし、、中る(弓ではこう書いてあたると読みます)ことがわかっていれば中てたいなんておもわなくて済むわけです。そこに既に欲は無くなるわけです。ゼロってとても興味深い概念だと私は思います。
    無。あるがまま。あるがままが十分すぎるほど美しく価値があるなと最近感じるようになりました。

    このとき私自身が、溶けて渓流になってしまった不思議なひとときと感覚でした。
    なんだか幽体離脱してるかのようでちょっと怖くなってしまって、意図的に我に戻ってしまったんですけど…。

    安曇野 烏川 ここは標高1000m弱 里が600m位
    3000mの北アルプスから東面へ降りてくる水の流れでいずれ信濃川となり日本海へそそぎます。
    ここは【烏川渓谷緑地】として駐車場や歩道、キャンプ場、宿泊温泉施設などありますが
    大自然を生かしつつ気軽に立ち寄れるよう工夫されています。
    松本・安曇野へ来たならぜひお立ち寄りくださいませ。