やさしくて、やさしくて。
相手のために、相手の気持ちになって行動したことは喜ばれます。
その一方、親切のつもり…があまり伝わらないこともあります。
おもいやり? やさしさ。 見かけ上のやさしさ…
何がどこが違うんだろう?と考えてみるわけです。自身でも気付かぬうちに、自分自身の価値を高めるために行動したことの差なのかな?私自身もついやってしまう。というか、ほとんどこちらだろう。汗。。
私自身を傷つけないようにとか、かっこつけるとか、自己アピール?私自身を守ってしまう。
私を見て!の状態、もう完全に私が主役、相手は脇役ですね。
なんとなくの菓子折りを持っていく、というのはどちらかというと、まさに相手より自分を優先してる気がしませんか?
相手の気持ちになって考える、行動するということは、相手とこちら側が共鳴というか共振してるんだと思います。だから、「伝わる」んではないかと思います。
良くしてくださったときに、妙にストライクゾーンにはまり、それはとてもあったかく、確実に大切な何かを受け取ったような不思議な感覚を覚えることがありませんか?
同じ目線で話しをするというのもそういう意味だったのかな。なんてったって、自分がかわいい、そんな自分の現状維持を守った利益や価値と、相手を思いやり行動した時に産まれる価値、いろいろなこと、今振り返ると、あ、かえって損をしていたんだなと気付かされます。
価値を産み出す、創り出す側になりたいです。