真冬に宿っている蕾を見てそう思う。
私の営みは…と、ふと思い省みることがある。
草木は静かに出しゃばらずに次の準備をいている。あゝ、凄いなァと素直におもう。こうなんだよなぁ。花開く前って。我が家のドウダンツツジ、蕾はいつからできているのだろう?おそらくもう秋には出来ている。
でも、自分の身に何かが成し遂げられるとき、たなぼたごとも、。意外と元々要素が揃っていたことにも気づく。そう、今起こることは今までの蓄積の結果。良きことも悪しきことも。あまり悲観することもない。身のまわりに当たり前に静かに存在している蕾を見過ごしているように、気づかないだけで...
pinterest https://pin.it/5i27c36cwsqtib
最近はまっているのがこのpinterest。
お気に入りの写真を集める感覚、探して眺めている妄想のひとときがとても居心地が良い。
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先日友人に誘われ、松本の、とある松茸山へ行ってきました。
私にとって初のハンティングだったのですが。
今振り返ってもよく見つけられたものだと不思議な出来事でした。
私に見つかるなんてこの松茸もまだまだ未熟者か、山からのプレゼントなのか。
こういうのを山の恵みというのでしょうか。
みなさんハマるわけですね。
採るのも愉しいしいただくのもまた愉しい。
卓上七輪は魔法の調理器具。私はいろいろ試しましたが酢醤油が一番好きです。
秋は山へ出かけましょう!!
蕎麦懐石 滿
薄暮れに松本市の中芯から川づたいに少し歩きひっそりとたたずむ庵ののれんをくぐりました。
素朴な居場所のなかにきちんとした調度品がさりげなくお客に歓迎の意を注いでくれています。日本人に生まれてよかったとつくづく感謝したくなるような品々がちょうどよい計らいによって運ばれてきます。
日本人の素朴なものの中にある、食の豊かさと、住まいの豊かさ、を改めて実感するひとときと気づきを愉しみました。
どうしてこんなにも絶対的な品格を創るのだろう??
近頃、もっと自然な野生的でありたい、と思うようになってきました。
今は新聞もニュースも基本止めてみました。
渓流散策です。(釣れなかったので散策!としときます)
水面は生きた鏡のよう。樹木達のありのままの姿は庭師さんでもお手上げかと?
美しいにもほどがある。
渓流は芸術だ。一流の庭師さんならこれに近いものを再現できるのだろうか??
二流・三流だと…?
ということは、これは、自然は、、ゼロ流なんだと思います。
ゼロというとおそらく、禅の世界に通ずるものがあると思います。欲が解けて無我の境地とか?
弓もそうですけど...